The Amazing Digital Circus ザ・ラストアクト感想

だいぶ経ってしまったのですが、アメイジング・デジタル・サーカスの最終話を映画館で観てきました。
初見時は結構困惑したというか、自分が予想していなかった方向に話が進んでいき、モヤモヤしました。

そこからしばらく考える時間があり、
Netflixで配信されてたのでもう1度観たんです。
そしてまた考える…
7月現在、いい塩梅で消化できた気がするので、やっと感想文を書いていこうと思う。
ネタバレ注意な記事です



色々語りたいことはあるのですが、
自分は本作を通して、優しさについて学んだ気がする。
そのことについて書こうと思います。


話が飛ぶんですが
自分は、たぶん、どっちかというと…優しいと言われるタイプの人間だと思う。
方々の知り合いから「森さんは優しいっスね〜」などと…
確かに、困ってそうだなと思ったら話を聞いてあげたいと思うし、
細かい話だと、例えば飲み会が終わって1人だけお手洗いに行った人がいた場合、
自分はその人のことを待っていたりする
。
(意味ないかもしれないが、なんか寂しいかなと思って)
そもそも人に対して怒らないし、怒れない。
(人並みに愚痴を言うし、落ち込んだり悲しんだりすることは人一倍多いが…)
そういうレベルの、そういう振る舞いが、
なんだか自分を優しい系の人間だと周りに思わせている。

…のだが
自分としては
もちろんそうだろうな!?…などと思っている。
どういうことかというと、すごく意識的にやっているからなんです。

自分は優しいと思われたいし、人を傷つけたくないし、
何より人に嫌われたくないんです。

そういうことを猛烈に思っている。それが自分を優しくさせている。

でもここ数年、うっすら悩んでいたんですが、
優しさってそういう利己的なものなのでしょうか?
優しさって、もっと無償の愛みたいな、勝手に溢れ出るものというか、
打算のない、清いものなんじゃないだろうか?

…などと考えており、
自分の優しさは偽物なんだろうと思っていた。
だから、近年は自分を優しいと評されても、
いやそんなことはないんだよなぁ〜…と思っていた。
(むしろ自分は人から嫌われたくないだけの、卑しい性格だと)


…みたいなことを考えてるときに
自分はラガタに出会いました。
ラガタは常に人に寄り添いたいと思っている、おせっかい焼きのキャラなんですが
彼女は4話で泥酔したときにこういうセリフを吐いたんです。

あらジャックス
私は あなたが嫌い
だけど私のことは嫌ってほしくない
それって変?


これもラガタの一面なんだと思います。
実際、ラガタは人間だった頃、物質的に裕福な家庭だったけれども、
母親との関係が悪く「人に好かれなければ自分の価値は無い」と思い込んでたっぽいのです。
ゆえに病的なレベルでおせっかいというか、もはや嘘くさいレベルで人を励ましたり、
綺麗事のように「あなたには私がいるわ!(いるわよね?)」
などと言うのです。
一見すると良い人なんだけど、
ずっと見てると、常に嫌われないよう立ち回ってるだけのようにも感じる。
そしてちょっとでも相手から拒絶されたり距離をとられると、途端に病んでしまう。

こういう面倒くさいキャラなんです。

うーん…共感できるッ
(自分はラガタほど極端じゃないとは思います)


そして最終話直前まで、
ラガタの優しさは常に空回りしっぱなしで、人を傷つけ自分も傷つけていったのですが、
ついにラガタの優しさが、自分に返ってくるんです。
主人公であるポムニを通して…

第9話。世界は滅茶苦茶に壊れ、ジャックスもバグってしまう。
ラガタはその発端が自分にあると思い込み、深く落ち込んでいました。
そんな彼女にポムニは寄り添い、自分にとってラガタが大切な存在だと伝えます。



最初にポムニを気にかけたのはラガタなんです。
いろいろあったけど、ラガタは常に前向きに、盲目的に優しい人であろうとしたんです。

そういう行いで傷ついてきたラガタだからこそ、
ポムニのこのセリフに対して、信じきれない部分があるのか、目を逸らすのです。

形式的な優しさは自分が痛いほど知っている。

ラガタは嫌われないよう、曇った表情で社交辞令的に返事をするのですが‥

次の瞬間、ポムニがラガタをギュっと抱きしめるんです・・・・!
相手にぶつかっていけるのが、ポムニの強さなんです。

ここでラガタはたがが外れたように泣いてしまう。

自分が今まで投げかけてきた優しさが、作中で初めて返ってきたんです。
自分は間違っていなかったと…
自分の優しさを受け止めてくれる存在が目の前にいるのだと…

ポムニ 「今 彼らにはあなたのような人が必要よ」
ラガタ「ポムニ…」「ここにきて あなたに出会えたことほど素敵なことはないわ」

自分はこのシーンで泣くのですが、どうなんでしょうか。


んで…
改めて優しさについて考えたのですが
優しさとは、ただの動詞であって形容詞ではない。
みたいなことを考えました。

優しさは、人の性質ではなく、優しい「行動」を指すものなんじゃないか。
だからその行動が、優しさになるか、おせっかいになるかは受け手との関係によって変わる。

優しさは常に善であるとは限らないということです。

現に、ラガタの優しさはジャックスには届かないどころか、
彼をさらに孤立させていく引き金になってしまった。
距離を置くことを必要とする人もいる。
常に定型的に、優しく寄り添えば人はハッピーになるわけじゃない。
人間はもっと複雑な心をもっているのだと思う。

『空が灰色だから』(2011〜2013年/作:阿部共実)

(きらら先生は間違ってしまったのかもしれないけども…)
(これを鈍感という言葉で断罪するのって、なんか違う気がする…)
(この熱さは嘘じゃないし、只者じゃない…)

じゃあラガタの優しさはなんだったんでしょうか…?
自分の普段の優しさは…?

優しさは動詞なんです。
優しい行動をとった、その行動に宿るのだと思います。

そういう行動をとれない(とろうと発想できない)人もいるからです。

ラガタは困っていそうな人に、積極的に声をかけ、力になろうとした。
そこには打算や嫌われたくない気持ちもあったんだろうけど、
行動という形になったんです。
そこに優しさのパワーが、エネルギーが、物理が宿っている。

そういうことなんだと思います。
だからもう、自分は優しさについて悩むことはあんまりないのだと思う。

ラガタは、優しい人間だったから救われたわけじゃない。
優しい行動を積み重ねてきたから、その行動が最後にポムニへ届いた。

だから、自分もそれでいいのだと思う。
自分がそう思ったからそうした。
あとは受け手次第なんだな〜と。

もしその行動を「優しかった」と言ってくれる人がいるなら、
その関係の中では確かに優しさは成立するのだと…
(自分も滅茶苦茶つらいのに人に優しさを行使できる人こそが優しい「人」なのでは?とか)

・・・・そんなこんなで
自分を悩ませていた優しさに対して解像度が上がる素敵な作品だったのでした。
(突き詰めると、人は社会的動物で、自分がどう在るかは他者が決める。というマジレスになる)


なんだかそれっぽいことを、それっぽく語ったのですが、
自分は上映後、相当戸惑っていて、まったく冷静じゃなかった。
最後にそのことを漫画にして終わります。


スクリーンショットは『アメイジングデジタルサーカス』(2023年〜/制作:Glitch Productions・監督:Gooseworx)より引用