イン・ザ・メガチャーチ感想

仕事が忙しすぎてまた間が開いてしまった‥

7日とか10日おきには更新したいんスけどねえ…

さて、
朝井リョウの「イン・ザ・メガチャーチ」を読み終えたので、感想文を書いていきます。
とりあえずめっちゃ面白かったです。

もともと自分は朝井リョウという作家について全然把握しておらず、
「イン・ザ・メガチャーチ」という小説がすごい売れてるらしい、ということだけ知っていました。

あとどうやら推し活がテーマらしいので、ちょっと気になってた。

朝井リョウ氏について、これ本を買う直前に知ったのですが、
私の好きな邦画「何者」と「桐島、部活辞めるってよ」の原作者だったんです。

『桐島、部活やめるってよ』(2012年/監督:吉田大八・原作:朝井リョウ)

『何者』(2016年/監督:三浦大輔・原作:朝井リョウ)

どっちもたまーに見返すレベルで結構好きな作品でして…
(同じ作家が原作なの全然知らんかった...)

これは読むしかねぇなと…

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話が前後するのですが、

自分は推し活という言葉がどういう意味なのかイマイチ分かっていなかった。
昔でいうオタク活動というか、追っかけというか、そういうのと何が違うのかよく分からない。

自分はサブカルは好きな方だが、CDを大量に購入したり、廃課金したり、ライヴに通い詰めたり、好きな作品で繋がった仲間がいたり…そういう経験が無い。

(高校生の時にエヴァ量産機のフィギュアを9体買ったことがあるが、これはなんか違う気がする)
(唯一、アークナイツというソシャゲに月額500円、好きなキャラがくる度に5000円ほどガチャしていた時期もあったが、それも一過性。)
(Bloodborneというゲームを10年近くプレイするぐらい好きだが、グッズ収集に興味無し)
(ネット友達とか、オフ会とか、そういうのに縁の無い人生だった)

自分にとっての「好き」って、もうちょい孤独というかスタンドアローンというか、内々というか、こっそり愛でるイメージがある。

(前回も言及したけど、自分は本当に好きなものは隠したいタイプなので)
(よくわからんとかいいつつ同担拒否に関しては結構分かる気がしている)
(本当に好きなもの関して『僕が一番、ガンダムをうまく使えるんだ』という謎の奢りがある)

似たような題材の「推し、燃ゆ」は読んではいたので、推し活ってもっと信仰めいてるというか、熱狂的なものなんじゃないのかな…でもなんかイマイチわかんねぇな…

…みたいな、消化しきれてない感覚があったんです。
でもなんか知っておいた方がいい気がするというか、なんとなく漠然と気になっていた。

自分みたいな人間と似てるようで、全然違うというか、なんなんだろうかと…
そういう好奇心があった。

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前置きが長くなったんですが、実際買って読んでみました。
読後は「すごいものを読んだ・・・!」という感覚があった。
普通に面白かったです。読みやすいし。
細かい内容に関しては他の方が言及してると思うし、実際に読んでみてほしいわけですが、
じゃあ自分が何を語るかというと・・・
色々考えたのですが、大層なことは語れないのでダラダラ適当に書くことにします。

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全体を通して、推し活を中心に登場人物達の人生が翻弄されていく様が描かれているのですが、
蓋を開けてみると

【人は自分が信じたい物語を信じて生きている】
【何かを信じるということは、自分を視野狭窄させること】

というのが大きなテーマだったのかなと。

何かを信じるということは、視野が狭くなるってことなんです。
強烈に信じれば信じるほど、周りが見えなくなっていく。他の可能性を見ないことにしていく。

こういう視点で推し活を考えると、なんとなく分かってきます。

というか、自分がなんで理解できなかったかというと、
自分が推し活とは別の物語を信じて生きているからなんです。

自分(私)が信じてる物語とは、なんでしょうか…
「作家活動で収入を得て慎ましく豊かに生きたい」
みたいな感じです。

みんなそれぞれあると思うんです。
夢というか、ありたい自分像というか、盲信している未来像みたいなものが。

たまたま自分は自分を中心に物語を描いているわけですが、
推し活ってのは、その信じる対象が別のコンテンツ(推し)か何かなんだなと。

自分の話に戻ると、
作家活動って、正気じゃできないというか、どう考えても博打というか、茨の道じゃないですか。
ただ生きるだけならもっと健全で真っ当な方法はあると思う。

でも信じてるわけなんです。

『進撃の巨人』(2009〜2021年/作:諫山創)

今まで積み重ねてきたものもあるし、失ってきたものもある。
この物語に自分の人生を全部ペイしてもいい。
そういう強烈な思いがある。
・・・みたいに考えると、自分が自分を信じて作家活動をしてるのと、熱心に推し活してる人って、根っこではそこまで変わらんのだなと。

推し活民がCDを大量に買うのを見て勿体無いなぁ…と自分が思っているとき、
数秒しか映らない絵を一日中描いてて無駄な時間過ごしてるなぁ…と思われているわけです。

そういうことなんです。
両者、それで燃え尽きる為に生きてるわけなんです。

伝わりますかね…
なんか全然まとまってない気がするのですが、
もう面倒になってきたので、分岐的に考えたことを出していきます。

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【人は同じ目線で物語を他者と共有できたとき、友情めいたものを感じる】

物語を信じることは多かれ少なかれ、視野狭窄の状態に陥ってるわけですが、
そういう状態を他者と共有して「まじおもれ〜!」などと同じ目線で語りあっちゃうと、
人はとっても心地いいというか、安心するんだなと。
(自己が承認されている感覚)

これ会社やサークル活動などでも同じことが起きてると思う。

自分の場合だと、
自分は現在、子供向け作品の絵を全力で描いてる。
チームの物語というか、業界に新たな地盤を作ってるような、そういうものを感じるときもある。

側からみれば色々反論あるんだと思うんだけど、そういうのを気にせず仲間内で盛り上がって、
「いや〜まじで森さんの描いたカット良かったわ〜!」
「あれは森さんじゃなきゃ描けないね!」

などと深夜の居酒屋で言われると、
いい年こいて友情みたいなものを、青春めいたものを感じてしまう…!

これが、物語の力なんだと思う。
(自分がヘイルメアリーで感じることも、こういうので説明できる。)
(そして自分がマッチングアプリに向いてないのもこういうことが関係している。)

同じ目線というのも大事なポイントだと思う。
多少の上下はあっても、似たような目線で熱く語り合った時、人はアガるんだなと。
(一方で会社員って二重思考が求められてもいることも、自分は理解している。)

逆に、物語を共有できてないと対人関係がノイジーになる。

目を覚まさせてくる、話しが噛み合わない、不快な関係。
(もちろん客観的視点は必要である。)
(俗に言う『お前がそう思うんならそうなんだろう』もこういうことかなと)

この人とは合わないな、噛み合わないな、というのは、
信じてる物語が違うのだなと。
(その人だって何かの物語の中にいる)

んで、これは現実の教会でも同じようなことが起きてるわけです。

…ってな感じで人生の解像度がちょっと上がった気がしたのでした。

もっと、読んでて色々思いました。

・(自分を含む)おじさんの孤独に関すること
・及びそれが誘発させるおじさんの勘違い行動について
・INFPの登場人物がでてきて自分も同じで共感したが、そもそも日本人全員INFPなのでは?
・東京生まれは東京を選び取ってない問題
・国見という最強キャラも実は物語を希求してる説
・陰謀論を信じちゃうタイミング
・破滅すると理解していながら破滅を求めて進む気持ち
・ユリちゃんという器用でバイタリティある人、自分も憧れてる件
・といいつつユリちゃんみたいな人とは相容れないなと思ってる件
・どんなライフススタイルも賛否あるなら、自分が信じることをやるほかないのでは?
・「信じる」ことの爆発力。視野狭窄状態というバフ

なんか色々語れることはあるが、全部は無理です。

あと最後に言いたいのですが、

たぶん朝井リョウ氏の作品全般にいえることだと思うのですが、
なにが正解かとかは言ってないのです。
何を信じてもいいし、信じなくてもいい、ただ、そういうことが今の日本で起こってる。
それだけなんだと思います。

この本の表紙が、教会の天井を写してるのはそういうことなんだと思います。

『イン・ザ・メガチャーチ』(2025年/作:朝井リョウ)

我々も巨大な教会の中にいるんだぞ…
(法を犯さなければ)信じること自体に良いも悪いもないよなと…

いったんここで終わります。